【Yamakara屋久島】倉岡 一平

未経験から屋久島で登山ガイドに。
思い切って飛び込んだからこそ出会えた、「遊びのような」毎日ワクワクできる仕事。

2023年4月にフィールド&マウンテンに入社し、Yamakara屋久島で登山ガイドとなった倉岡一平さん。前職は柔道整復師でそれまで山でのガイドの仕事はもちろん、本格的な登山経験もありませんでした。

家族(妻と2人の子ども)とともに福岡から屋久島に移住し、まったくの未経験から登山ガイドにチャレンジするという「大胆」な決断をしたのはなぜだったのか。その理由を尋ねると、「屋久島に惚れこんでしまったから」とのことでした。

■すべての始まりは、屋久島への一人旅

――前職は柔道整復師だったそうですね。

専門学校で柔道整復師の資格を取得して3年ほど勤めて実務経験を積んだあと、独立して自営で整骨院を開業していました。柔道整復師の仕事に携わっていたのはトータルで10年ぐらい。やりがいはありましたが、30歳を目前にして「何かほかの仕事をやってみたい」と考えるようになっていたんです。

そんなタイミングで、屋久島へ一人旅に行く機会がありまして。その旅を通じて自分がどんどん生き生きしていくのを実感できたというか、「今、生きているんだ」みたいな感覚が体の底から呼び覚まされたんですよね。それで直感的に「屋久島に住もう!」という気持ちが抑えがたく湧き上がってしまったんです(笑)。

――登山ガイドになろうと思ったのは?

最初は「ガイドになりたい」という気持ちはまったくなかったんです。そもそも山に登ったこともほとんどなく、登山ガイドという仕事の存在すら知りませんでした。

ただ、屋久島に移住するには仕事も探さなければということで、いくつか求人広告を見た中にYamakara屋久島もあって。「屋久島には山がたくさんあるし、登山ガイドも楽しそうだな」ぐらいの軽い気持ちで応募したんです。

――登山ガイドについて事前に調べたりは?

しなかったですね。イメージはゼロでした(笑)。けれど、それがかえってよかったんじゃないかと。何も知らない、わからないからこそ、「とりあえず試しにやってみよう」と知識も経験もないのに飛び込めたんだと思います。

■体力面では苦労も。けれど、それを上回る「楽しさ」があった

――未経験から始めたガイドの仕事。大変なことも多かったのでは?

何もかもが初めての体験で、大変じゃないことは1つもなかったです(笑)。

慣れるまでに特に苦労したのは体力面です。縄文杉ツアーも白谷雲水峡ツアーも荷物を背負って長時間歩かなきゃいけないし、ガイドですから解説をしたり、お客さんの様子に気を配ったり、やるべきこと考えることがありすぎて、毎回クタクタになっていました。

――それでも続けられたのは?

初めてのことって大変なんですが、一方で毎日が新鮮で、それが楽しかったんだと思います。

あとは先輩ガイドの存在も大きかった。Yamakara屋久島では社員ガイドのほか、屋久島で長年ガイド業に携わってきたベテランガイドの方々とも一緒に現場に出る機会が多いんです。

みなさん、山の中にいるときの振る舞いや佇まいが本当にカッコ良くて。それに野性味というか、野性の勘みたいなのがものすごいんです。雲と風を見て「雨が降りそうだからレインウェアを着よう」と指示してきたり。

僕は屋久島に惚れて屋久島に移住してきたわけですが、仕事を通じてYamakara屋久島の先輩ガイドたちにも惚れてしまったんです。

■未経験だった自分には「伸びしろ」しかない

――見習い期間を終えて、いつごろからガイドとして独り立ちを?

入社して2カ月後ぐらいですね。

――わずか2ヵ月で!? 不安とかはなかったですか?

はじめて一人でガイドに出たときは、めちゃくちゃ楽しかったですよ (笑)。

それは、見習いとしての2ヵ月間先輩ガイドと一緒にお客さんを案内する中で、毎回「あの場面ではこうした方が良かった」「こうするともっと良くなる」などとアドバイスをしてもらい、ガイドとして大事にすべきことをしっかりと教えてもらっていたからだと思います。

うちの会社ってそうした学べる環境がしっかりとあって、自分から積極的に動いていけば成長するチャンスをどんどんつかんでいけるんです。

――倉岡さんにとって、登山ガイドの仕事のやりがいとは?

お客さんたちがだんだんと「子ども」に戻っていく姿を見ているのが楽しいですね。川に飛び込みたくなったり、道なき道を進んでみたくなったり、屋久島の自然の中に入っていくと誰もが子ども時代の好奇心や冒険心を思い出すんでしょうね。

僕にとっての登山ガイドって仕事ではあるんですが、限りなく遊びに近いというか。ご案内しているときも、お客さんと一緒に遊んでいる感覚なんです。ガイドが楽しんでいないとお客さんを楽しませることはできないですから。もしかしたら、誰よりも子どもに戻っているのは僕自身かもしれないですね(笑)。

今は、屋久島に惚れる人たちをもっともっと増やしたいという気持ちで、日々のガイドの仕事に取り組んでいます。

――ガイドになる前は屋久島の魅力を「受け取る」側だったのが今は「伝える」側に。完全に「屋久島の人」になっていますね。

この1年間、僕はずっと「屋久島の人間になりたい」と思ってやってきました。ですのでそう言っていただけるのはうれしいです。

――これからどんなガイドになっていきたい?

未経験で始めたこともあり、自分としては「伸びしろ」しかないと思っていて(笑)。まだ2年目なので、これからいろんな経験をさらに積み、自分がどんなガイドになっていくか、自分自身が一番楽しみにしています。

(Yamakara屋久島の事業部長である)純平さんからは「自由にいろんな企画をやったらいいよ」と言ってもらっているので、今年からは少しずつ自分らしいツアーの企画も考えていきたいなと。僕は泊まり山行が好きなので、泊まりの企画をもっと増やしていきたいですね。

フィールド&マウンテンは社員のやりたいことに対して「No」はなく、基本的には「Go」と言ってくれる会社なので、どんどんチャレンジしていきたいと思っています。

――最後に屋久島や登山ガイドの仕事に興味を持ってくれた人へ、アドバイスをお願いします。

僕のように未経験で、しかも屋久島へ移住するとなれば、きっと不安なことだらけだと思います。その不安はどれだけ考えてもゼロになることはないので、まずは思い切って飛び込んできたらいいんじゃないかと思います。

飛び込んできてくれれば先輩ガイドをはじめ、バックアップしてくれる人はたくさんいます。僕自身がそうやってまわりの人に助けられてやってきたので、間違いありません。

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